屋号/あーでふぃりん アーデフィリン 固有名詞
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第一次ポエニ戦争の結果、カルタゴはシチリア島をローマに割譲し、地中海における海上覇権を大きく減退させた。カルタゴはこの損失を補うため、ヒスパニア(イベリア半島)の征服に取り掛かった。ハミルカル・バルカによってヒスパニアの征服と植民地化が開始され、彼の死後は娘婿のハスドルバルが事業を継続した。紀元前226年、ハスドルバルはローマとの間にエブロ川以北には進出しない旨の誓約を交わした。
紀元前221年、ハスドルバルが暗殺されると、ハミルカル・バルカの息子ハンニバルが後継者となった。ローマの伝記作者に拠れば、ハンニバルは幼い頃からローマに対する憎悪を教え込まれ、攻撃の機会を狙っていたという。紀元前219年、ハンニバルはサグントゥムを攻撃した。サグントゥムはエブロ川以南の都市であったが、ローマとの同盟を結んでいたため、ローマは攻撃停止を求める使節団をカルタゴに派遣した。しかし、両者が交渉をしている間にサグントゥム陥落の一報が到着、クィントゥス・ファビウス・マクシムスは使節団を代表して宣戦を布告した。
ローマを屈服させるにはイタリア本土を直接攻撃するしかない。しかし、制海権がローマに握られている以上、海上からの侵攻は困難である。さらにローマはカルタゴの侵入が予想されるイタリア西部、南部に兵力を配置していた。ここでハンニバルはアルプス山脈を越え、ローマの防備の薄い北方から侵攻するという前代未聞の発想に至る。